SETOUCHI MINKA

瀬戸内の名山に登る。 ~兵庫県「氷ノ山」~

フィジカルにアタックしても、メンタルにアタックしても、山は人間を大いに内省的にしてくれる。そして、秀麗な姿で堂々とそびえる山々を前にして痛感するのだ。山がわれわれにとって生活の一部であり、われわれの肉体と精神が山に育てられてきたということを。登るもよし。歩くもよし。見るもよし。思うもよし。そこに山が、あるゆえに―。アラフィフ編集者が瀬戸内各県の最高峰に単独アタックし、身近すぎて見過ごしがちなふるさとの山の魅力を全身全霊で体感するこの企画。5th アタックは、東中国山地の主峰、中国・近畿両地方を代表する兵庫県の名山・氷ノ山。どっしりとした存在感のある風格を放つこの山は、すべての登山客を優しく受け入れ、何度も訪れたくなる魅力にあふれている。広大な稜線を吹き抜ける風に誘われて山頂に立った時、このまま全てがかなうような気がした。

<取材・写真・文/鎌田 剛史>

美しいブナの原生林ハイクと、大展望を誇る山頂までの稜線漫歩。

【後山 DATA】標高:1,510m 所在地:兵庫県養父市/鳥取県若桜町 山系:中国山地 名山選定:日本二百名山/新日本百名山/中国百名山/関西百名山/近畿百名山 公園指定:氷ノ山後山那岐山国定公園

兵庫が生んだ孤高の登山家が愛した名峰へ。

山を愛する人ならその名を一度は聞いたことがあるであろう兵庫県出身の登山家・加藤文太郎が「兵庫槍」と呼び親しんだという氷ノ山。四季折々で違った顔を見せ、老若男女問わず毎年多くの登山客が訪れる人気の山だ。兵庫・鳥取両県側から多彩な登山コースが整備され、誰でも比較的登りやすいとされているものの、少なからず遭難事故も発生しており、厳しい山の一面も併せ持つという。そんな山にビギナーの自分がはたして無事に登れるのだろうかと不安を抱えながらも、登山口の木箱に登山届を差し込み、ひとつ深呼吸をして歩き始めた。

今回は兵庫県側の氷ノ山越コースを歩く。養父市の福定親水公園から氷ノ山越まで上がり、長い稜線を歩いて山頂へ至り、帰りは東尾根を下りる周回ルートだ。登山口からほどなくして布滝に着く。しばし鑑賞した後、待ち受けていたのは激しい登り。28曲がりと呼ばれるこの坂は、その名の通り28回もつづら折りを繰り返しながら登っていく。いきなりの厳しい山の洗礼に口元がゆがむ。歩いても歩いても急坂が延々と続いている。さまざまな樹種が絡み合う連樹の前でへたりこんでいると、後から登ってきた軽装の老紳士が、汗びっしょりで天を仰ぐ自分の前を涼しい顔で通り過ぎて行った。自分の歩き方が悪いのだろうかと歩幅や重心の位置を変えたりもしてみたが、どうにもつらい。ヨロヨロとなんとか急登を越え、地蔵堂のある広場へとたどり着いた。

氷ノ山の絶景を望む、別宮の棚田の近くにある鉢伏高原。一面に広がる鮮やかな緑の草原が美しい。冬季はスキー場になる。

登山口の福定親水公園から約20分で着く布滝。滝の前に架かる観瀑橋に立つと、落差約65mの雄大な姿を真正面から眺められる。

山頂までは約4km、約3時間の道のりだ。初っ端からいきなり28曲がりと呼ばれる急登が待ち構えていた。つづら折りに延々と続く激しい坂に息が上がる。

28曲がりの途中にある連樹は、ホオの老木を支えるようにネジキ、ミズメザクラ、リョウブ、タカノツメ、ナナカマド、マツブドウの木が絡み合っている。

急登ゾーンをようやく越えると、青いトタン壁の地蔵堂にたどり着く。登山家の加藤文太郎がここで一夜を明かしたことでも有名。木製の地蔵に登山の安全を祈る。

絶景のご褒美を頂戴しに、まっすぐ延びる天空階段を登る。

地蔵堂からは起伏が少ない道。木々の間から山頂が見え始めると、最初の目標ピーク・氷ノ山越に到着した。この場所はかつて、お伊勢参りの人々が越えた峠だといい、天保年間に祭られた石仏が鎮座していた。ちなみに鳥取県側では氷ノ越と呼ばれているらしい。三角屋根が印象的な避難小屋から周囲の風景を眺めながら、歴史に思いをはせる。昔の人の健脚さに驚くとともに、いろんな思いを抱えて多くの人がここを通り過ぎて行ったのだろうと、甘い和菓子を頬張りつつ、しばしノスタルジックな気分に浸った。

地蔵堂を過ぎるとゆるやかな登りに。立ち並ぶスギの木々から道に木漏れ日が差し込んでくる。辺りは静寂。神秘的なムードに包み込まれていた。

登山開始から約2時間半で氷ノ山越に到着。ここは鳥取県側の登山道と、最初に行った鉢伏高原のある鉢伏山山頂へ向かう登山道の分岐点。三角屋根の避難小屋があり、地蔵が鎮座している。

山頂までは心地良い尾根歩き。氷ノ山越を発ってすぐにブナの原生林の中を歩くようになる。次第に視界が開けてくると、左手に鉢伏山が、前方に避難小屋のある山頂と、コシキ岩と呼ばれる巨大な岩の塊がはっきりと見えてくる。起伏の激しい岩稜地帯を何度か越えて、登山道の分岐点となる仙谷口へ。そこからコシキ岩を巻く形でトラバースし、つづら折りになった荒い石畳と丸太階段の道をひたすら進むと、チシマザサの薮の中を空に向かってまっすぐ延びる山頂への最後の階段が現れた。

氷ノ山越を超えると尾根道に。道の両脇には美しいブナの原生林が広がる。

足下はブナの根が網目のように張り出していたり、岩石がむき出しになっていて、歩くのに少々骨が折れる。登りはゆるやかだが、尻と太ももに乳酸が溜まり足取りは重たい。

尾根道をひたすら進むと、やがて前方にこんもりとしたコシキ岩と呼ばれる巨大な岩の塊が見えてくる。岩の上までよじ登る強者もいるそうだが、体力的にそんな余裕はないので当然スルー。

丸太の道を一歩一歩進み、やがて視界が一気に開ける。まっすぐに延びる木の板で作られた階段の先には、山頂の避難小屋が見えている。一面に広がる笹原と青空が描くコントラストの美しさにここまでの疲れも吹き飛ぶ。雲が近い。

さっきまでの素晴らしい青空が、しばらく景色を眺めているうちにみるみる厚い雲に覆われ始めた。当然だが山の天気は変わりやすい。山頂まで延びる最後の階段を急ぐ。

汗をかき、歩き尽くしてこそ湧き上がる感動。全方位に広がる壮観な大パノラマに心を洗う。

階段を一気に上り切ると、待望の山頂広場にたどり着いた。氷ノ山越に建てられていたのと同じ三角屋根の避難小屋、そのそばには一等三角点や、須賀ノ山神官の小さなほこらなどがあった。それにしても360度の大パノラマは圧巻の一言に尽きる。登り始めた福定の集落付近があんなにも小さく見える。氷ノ山から鉢伏山山頂まで延びる草原の尾根道も美しい。鳥取県側の景色に目を凝らせば、中国山地の向こうにうっすら日本海が見えている。

とっておきの展望を心行くまで楽しんだ後はお待ちかねの腹ごしらえだ。シンプルなおむすびなのに「ンンン~!」と目を閉じてうなってしまうほどの美味さといったら。どらやきのアンコの甘さも疲れた体に染み渡る。至福の極みとはまさにこのことだ。山頂に30分ほど滞在した後、下山の途につくことにする。兵庫のてっぺんから見下ろす壮観な景色に後ろ髪を引かれながら、東尾根コースに向かう道へと入っていった。

山頂から見下ろした鉢伏山。朝に行った鉢伏高原があんなに小さく見える。尾根沿いに延びる道は歩くと気持ちよさそうだ。

広い山頂に立てられているモニュメント。
国土地理院の一等三角点もある。

避難小屋の中は外観の見た目よりも広く、2階にも靴を脱いで上がれる板間があった。

昼食のデザートは、麓のスーパーで買っておいた養父市の和菓子店・谷常のどらやき。はるか向こうにうっすらと見える日本海を見ながらパクつく。上品な甘さでウマイ!

「家に着くまでが登山です」。その言葉の重みをあらためて思い知る。

山頂を下り始めて200mほど進むと、古生沼が現れる。ここは幅が約30m、長さ約60mの湿原で、ヤチスゲ、エゾリンドウ、ツマトリソウ、アカモノなどの氷河期の植物が生き残っているという。

さらに下っていくとアシウスギなどの群生林の中を歩くようになる。神大ヒュッテを過ぎてからも薄暗い森の道が延々と続く。ドウダンツツジの群生地を抜け、途中の道理の木に夫婦円満の願掛けをしたりしながら、ようやく東尾根の避難小屋まで下りてきた。ここから後は東尾根登山口への長い階段を下り、舗装道路を歩いて福定親水公園まで戻るだけだ。

山頂から東尾根コースを下ってすぐのところにある「古生沼の高地湿原植物群落湿地」には、バイケイソウやエゾリンドウ、マイヅルソウなど、氷河時代の生き残りともいえる貴重な湿生植物が繁殖している。兵庫県指定天然記念物。

東尾根ルートは、登ってきたルートよりも深い森の道を歩くような印象。途中には千年杉、人面岩といった見どころも。

2本の木が1本に同化している道理の木。夫婦円満の象徴といわれているそうで、自分もあやかるべく幹にタッチ。

ようやくフィニッシュが見え、一息つこうとベンチに腰掛けた時、背後の笹原からガサガサという音とともに「グルル…」という動物のうめき声らしきものが聞こえた。まさかクマ!?飛び上がって足下のリュックサックを両手でつかみ、上下に大きく振って鈴を鳴らした後、一目散に階段を駆け下りた。登山口の門をくぐり抜けた瞬間、疲労と安堵でワナワナと膝から崩れ落ちた。

ただの空耳だったのだろうか。いずれにせよ、人生で初めて味わった得体のしれないあの恐怖と緊迫感が、氷ノ山登山の記憶に深く刻まれたのはいうまでもない。

東尾根避難小屋。ここまで来れば麓まであとひと踏ん張り。ベンチで一息ついていると、背後の笹薮から「グルルル…」と動物のうめき声のような謎の音が。一瞬背筋が凍った。

東尾根登山口まで急こう配の丸太階段を下る。最後の最後でこの下り階段はキツイ。一歩踏み出すたびに膝がガクガク笑う。時折後ろを振り返りながら、30分ほど無我夢中で駆け下りた。

東尾根登山口からスタート地点の福定親水公園までは、アスファルト舗装の林道歩き。鮮やかな緑の芝生が覆う氷ノ山国際スキー場のゲレンデを眺めながら、最後の力を振り絞って歩を進める。

長い林道歩きの末、ようやくスタート地点の福定親水公園にたどり着いた。ホッとした。

氷ノ山登頂の足あと。

登頂日:2021/6/23 登山ルート:福定親水公園→布滝→地蔵堂→弘法の水→氷ノ山越→氷ノ山山頂→神大ヒュッテ→一の谷休憩所→東尾根避難小屋→東尾根登山口→福定親水公園 活動時間:約5時間40分(休憩など含む)

10:03 START →

①福定親水公園登山口を出発

10:10 →

整備された登山道は歩きやすい

10:18 →

②布滝に到着

10:27 →

28曲がりと呼ばれる急登ゾーンへ

11:03 →

7つの木が絡み合う連樹

11:12 →

③地蔵堂に到着

11:30 →

沢を越える箇所も。階段はほぼ垂直!

11:59 →

道中には見どころいっぱい

12:02 →

④弘法の水。水の湧く場所が続く

12:21 →

山の水で喉の渇きを潤す

12:26 →

道の脇から山頂が見え始めた

12:28 →

⑤氷ノ山越に到着

12:46 →

ゆるやかな登りの尾根道を進む

13:00 →

道の両脇には豊かなブナの原生林

13:17 →

ずいぶんと標高が上がってきた

13:36 →

仙谷分岐で鳥取側の登山道と合流

13:41 →

どっしりとしたコシキ岩を見上げる

13:50 →

岩がむき出しの登山道

14:11 →

⑥氷ノ山山頂に到着

14:46 →

下りは東尾根コースで

14:59 →

千本杉と呼ばれる樹林帯を通過

15:04 →

⑦神大ヒュッテに到着

15:27 →

見る角度で表情が変わる人面岩

15:37 →

⑧一の谷休憩所に到着

15:46 →

ドウダンツツジの木

15:48 →

2本の木が一体化した連理の木

16:06 →

⑨東尾根避難小屋に到着

16:08 →

ここから急な下りの階段が続く

16:28 →

⑩東尾根登山口に到着

17:05 GOAL

①福定親水公園に到着

兵庫県養父市と鳥取県若桜町との県境にそびえる「氷ノ山」。中国山地では、鳥取県の「大山」に次いで2番目の高さを誇る。人間の手が入っていないブナの自然林を豊富に抱え、「母なる森」とも呼ばれている。天然記念物のイヌワシやヤマネをはじめ、アサギマダラ、ヤマセミなどさまざまな動物も生息。変化に富む登山コースは人気で、5~11月の登山シーズンには多くの登山客でにぎわう。今回歩いたのは「氷ノ山越」と呼ばれるコース。このほかにも兵庫・鳥取両県側からいろんな登山ルートが整備されている。

<1st アタック> 香川県最高峰「竜王山」への登頂リポートはこちら

瀬戸内の名山に登る。 ~香川県「竜王山」~

<2nd アタック> 山口県最高峰「寂地山」への登頂リポートはこちら

瀬戸内の名山に登る。 ~山口県「寂地山」~

<3rd アタック> 岡山県最高峰「後山」への登頂リポートはこちら

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<4th アタック> 広島県最高峰「恐羅漢山」への登頂リポートはこちら

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<ファイナル・アタック> 西日本最高峰・愛媛県「石鎚山」にある飛瀑「御来光の滝」への登頂リポートはこちら

瀬戸内の名山に登る。 ~愛媛県「石鎚山・御来光の滝」~

この記事を書いたのは…
瀬戸内民家シリーズの雑誌表紙

瀬戸内海沿岸の岡山・広島・山口・香川・愛媛・兵庫各県で家づくりを手掛ける腕利き工務店の情報に加え、瀬戸内の自然や気候風土、歴史、文化といった、瀬戸内で暮らす魅力を発信しています。さらに詳しく>

アラフィフ編集者が瀬戸内各県の最高峰6座へ、
ロックンロールの名曲の調べと共にアタックした記事「Rock n’ roll 瀬戸内の名山」は
ぜひ「SETOUCHI MINKA LIVING with NATURE 瀬戸内の自然と暮らす。」でじっくりと。

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