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“いとをかし” 畳の世界 ⑤100%地元産にこだわる岡山最後の花ござ職人。

瀬戸内の温暖な気候風土に恵まれた岡山県南部の早島町・倉敷市は、古くからイグサ産業が盛んな地域として知られ、畳表や花ござの生産量で全国トップクラスを誇っていた。しかし時代とともにイグサ産業は衰退、現在では往時の面影はすっかりなくなってしまっている。そんな状況下でも、岡山のイグサの火を絶やすまいと孤軍奮闘するひとりの花ござ職人と出会った。

<取材・写真・文/鎌田 剛史>

かつてはイグサの一大産地として名を馳せた岡山県南部の町。

畳表や花ござの材料であるイグサの一大産地として知られた岡山県早島町。その起こりは定かではないが、室町時代後期の文書に京都の相国寺へ早島から畳表50枚が納められたとの記述があり、そのころにはすでにイグサや畳表がこの地域で作られていたとされる。約400年前には干拓によって農地整備が進み、塩分を多く含む干拓地の土壌でもよく育つイグサ栽培が盛んに行われるようになり、江戸時代中期には全国有数のイグサ、畳表の産地として成長。当時早島で織られていた畳表は短いイグサを中ほどで継いだ中継表で、「早島表」の名で大阪を中心に全国各地へと出荷されていた。当時の記録では、早島産だけでなく、岡山県南部で作られたものも「早島表」の名で出荷されており、早島の名は畳の代名詞ともいえるほど全国に知れ渡っていた。

明治維新後は畳表の景気が悪化し、当時の岡山県令(県知事)だった髙崎五六が畳表に代わる産業振興策として、花ござの生産を推奨した。花ござとは、染色したイグサを鮮やかな模様が浮き出るように織り上げた敷物。これに応えた倉敷市茶屋町の磯崎眠亀(みんき)が、「錦莞莚(きんかんえん)」を発明したのを皮切りに、早島や倉敷を中心に花ござの生産が増加、アメリカをはじめ海外諸国への輸出品として成功を収め、岡山県南部には花ござの製造工場が多く設立された。東京オリンピックが開催された1964年にはイグサの作付面積と生産量がピークに達し、早島町や倉敷市は「畳表と花ござの町」として隆盛を極めた。しかし、高度経済成長期を迎えた1970年代ごろから日本人のライフスタイルや周辺環境の変化などにより、イグサとイグサ製品の生産量は急激に減少。以後は衰退の一途をたどり、2000年には早島町のイグサ栽培面積がついにゼロとなってしまった。

早島町には、畳表や花ござを製造する当時の機械や資料などを展示する「早島町歴史民俗資料館」や、明治末期築の畳表・経糸問屋だった日本家屋を改修した「いかしの舎」など、イグサで栄えた往時の姿を今に伝える施設はあるが、町内にイグサが栽培されている光景はもはや見られない。JR早島駅の南側に広がる田園の中に「畳表・花ござの町 早島」と書かれた看板を以前見かけたことを思い出し、足を運んでみたが現在は見当たらなかった。駅前にある「早島町観光センター」のスタッフに聞くと、1年ほど前に撤去されたそうだ。

早島町ではイグサの鉢植えを町中に並べる活動や、県南部のメーカーや問屋が集い、花ござをはじめ多彩なイグサ製品を展示・販売する「早島・倉敷花ござまつり」を毎年開催するなど、畳文化を支えてきた町の誇りを絶やさない活動に今も取り組んでいるが、ここがイグサの町であったことを知らない人も増えているのではとスタッフは話す。そんな中、隣の倉敷市で100%地元産の花ござを作り続けている人に心当たりがあるといい、わざわざ連絡を取ってくれた。その人は原料のイグサも自らの手で栽培しており、あくまで伝統製法にこだわる岡山では最後の花ござ職人だという。

早島町のイグサ産業に関する資料や当時の畳表・花ござの製造機具などを展示している「早島町歴史民俗資料館」。
畳表・経糸問屋として成功した寺山家の邸宅を改修した「いかしの舎」。立派な梁が架かり豪華な意匠が施された邸内から、イグサで繁栄を極めた当時の様子がうかがえる。
倉敷市茶屋町にある「磯崎眠亀記念館」。眠亀の住宅兼作業場だった建物を改修し、「錦莞莚」を発明した偉業を伝承する記念館として開放。実物の錦莞莚や関係資料を展示している。

絶滅の危機に瀕した倉敷イグサの伝統を守る。

倉敷の地で育ったイグサを、倉敷の職人が織り上げることにこだわり続ける今吉俊文さん。イグサの栽培から染色、織り上げまで全ての工程をひとりでこなしている。

倉敷市西阿知の住宅街の中にひっそりと工場を構える「倉敷いぐさ 今吉商店」は、1897年の創業から125年にわたって倉敷産イグサを使った製品を作り続けている老舗メーカーだ。現在の店主・今吉正行さんで4代目。創業当初は畳表や花ござを主に手掛けていたが、現在は倉敷美観地区などで販売されているイグサの民芸品をメインに製造しているという。

ガチャガチャとリズミカルに動く織機の音が響き、山積みになったイグサのかぐわしい香りが漂う工場の奥に通されると、がっしりとした体形の男性が優しい笑顔で迎えてくれた。正行さんの息子・俊文さんである。「日本遺産にも認定された倉敷のイグサ産業ですが、もはや絶滅寸前。県内でイグサを栽培しているのも今では私ひとりです。気が付けば、脈々と受け継がれてきた伝統を後世に残すという大役を担うことになってしまって…えらい責任背負っちゃったなって、ちょっと後悔することもあります」と俊文さんは開口一番そう話しながら、茶目っ気たっぷりに笑う。

俊文さんは13年前、人手不足で困っていた家業に入った。「最初は父と共にコースターなどを織ってました。そのうち徐々に分かってきたんですが、昔は近所に何軒もあったイグサ製品の工房が、職工の高齢化や後継者難でどんどん減ってしまい、さらには倉敷でイグサを栽培している人もほとんどいなくなってしまって。このままでは倉敷のイグサ産業はいつか途絶えてしまう。これは何とかしないとやばいな、と思ったんです」。
 俊文さんは、イグサの知識や加工技術をさらに深めるため、当時倉敷市内で唯一イグサを栽培していた畳店に弟子入りし、イグサの育て方や畳表の作り方を学んだ。その後に師匠がイグサ栽培と畳工を辞めることになり、俊文さんがイグサ田を引き継ぐことになった。「はたして自分ひとりでできるだろうかと不安でしたが、周囲の方が農業機械を譲ってくれたり、隣接する休耕田を使っていいと言ってくれたりと温かく支えてくれて。大変になることは目に見えていたので、悩んで悩み抜いた挙句、きっぱりと覚悟を決めました」。

その時、俊文さんが可能性を見出したのが花ござだという。「私が栽培するイグサの収穫量で畳表をやるのは到底無理だし、熊本産など品質のいいものがすでにある。ならば、倉敷の花ござを正真正銘の地元産としてブランド化するのはどうだろうかとひらめいたんです。自分でイグサを作り、加工して販売するからこそ、年間にどれだけの量を作れるか把握できます。花ござならイグサの出来がよくない年でも、製品にするためのコンディション調整もしやすい。何より、消費者も畳より花ござの方が購入しやすいでしょうからね」。

俊文さんは花ござの元職工たちの下へ足しげく通い、イグサの染色方法や加工方法、織機の改良やメンテナンスなどについて教えを請い、全ての製造工程をひとりでできるよう研さんを重ねた。「一通りの技術と知識は身に付けたつもりですが、まだまだ中途半端。昔は完全分業制だったものを一人でやっているので当然なんですけどね。花ござを織るのはもちろん、全国へ売りに出掛けて販路を拡大したり、営業もしないといけないし。それに自分が作れる量しか売れないので、苦労している割には儲かっていませんよ」と頭をかく。だが、俊文さんは近ごろ花ござの認知度が上がっている手応えを感じているという。2018年には100%倉敷産のブランド「イグサラボ」を設立。丁寧に織られた色鮮やかで美しい柄や、柔らかくしなやかな倉敷イグサの肌ざわりなど、その品質の高さに問い合わせや注文がじわじわと増えているそうだ。

倉敷市西阿知にある「倉敷いぐさ 今吉商店」。倉敷産イグサにこだわり、4代目の今吉正行さんがイグサ民芸品やインテリア雑貨を製造。息子の俊文さんは「イグサラボ」のブランドでござ類を織っている。
穫して乾燥させたイグサは、うっすら緑がかったベージュ色でパリッとした状態に。これから染料でさまざまな色に染めていく。
俊文さんが作業する工場の隅に積み上げられたイグサの束。全て俊文さんが自らの手で育てた100%倉敷産イグサだ。

先人から受け継がれてきた地元発祥の織機を使用。

シャガード型の織機で黙々と花ござを織る俊文さん。

俊文さんは、織る柄や模様に合わせて構造が異なる織機を使い分けている。木の駒を張り合わせた板を使う「紋板式」と、穴の空いたカードを使う「シャガード式」の2種類で、どちらもかなり年季が入った代物だ。「木の駒を張ったタイプが、この西阿知で生まれた伝統の織機。昔はこの地区でござを織っている人のほとんどがこれを使っていたらしく、自分で改造するのが普通だったそうです。私もずっと改良し続けていて、今が過去最高の状態。もっとイグサをそろえたいとか、新しい柄を織りたい時などは、引退した職工のおじいちゃんに来てもらい、知恵を貸してもらっています。昔気質の考え方に時々腹も立ちますが…(笑)。でも、織機を囲んでああでもないこうでもないと意見を戦わせるのはいろいろ勉強になりますし、とても楽しい。長い間花ござの伝統を守り続けてきた偉大な先輩方を、心からリスペクトしています」と俊文さんは微笑みながら、ガシャンガシャンと大きな音で花ござを織る年老いた”相棒”を、ねぎらうようにポンポンと軽く叩いた。


西阿知で昔から使われてきた紋板型織機。先人たちが試行錯誤しながら積み上げてきた知恵と工夫が結集。今も進化を続けており、俊文さんいわく「今が最高傑作の状態」。

必要としてくれる人がいる限り、倉敷の花ござを織り続けたい。

俊文さんのイグサ田は倉敷市庄にある。イグサは毎年12月に植え付けし、翌年7月に刈り取る。3月、8月、12月には育った苗の株を植え替えして株を増やしている。田んぼに案内してもらうと、収穫まであと1ヵ月に迫ったイグサに、雨や風で倒れないようにする網が整然と掛けられ、みずみずしく青々とした穂がまっすぐに伸びていた。「ここがうちの命ともいえる田んぼです。栽培もしっかりやらないといけないんですが、花ござを織ったり、県外に売りに行ったりもしないといけませんから、田んぼだけに時間を掛けることもできないんですよね」。刈り取ったイグサは乾燥させて染色し、俊文さんの「イグサラボ」で販売する花ござと、父・正行さんが手掛ける民芸品に加工されている。

これから「イグサラボ」では「寝ござ」の製造・販売に力を入れていきたいという。「寝ござは敷布団の上に敷く織物です。吸湿性が高く汗をよく吸うので、さわやかな肌触りが気持ちいいんですよ。全国各地の物産展などで実際に見て触ってもらったお客さんからの反応も上々で、多くの方に受け入れてもらえるのでは」と期待を寄せている。

今後はイグサの栽培量も徐々に増やしていきたいと意欲を見せる俊文さん。さまざまな苦労が絶えない中でも、新たな可能性を信じて挑戦し続ける毎日だ。そんな俊文さんの原動力となっているのはやはり、倉敷のイグサを復活させたいという思い。「私が今やっていることははっきりいって型破りでしょうし、周りからも『どうしてそんな苦労するん?』って言われることも多いです。でも、本物の花ござが欲しいと思っている方はまだまだいるはず。倉敷の花ござは工場で大量生産されたものとは一味違う、長い歴史に培われてこそ生み出せる独特の味わいや魅力があると自負しています。必要としてくれる人がいる限り、私なりのやり方で作り続けていきたい」と言葉に力を込める。

「伝統の花ござを今後も私ひとりで守り続けていくのは無理ですから、いつかは私と同じ志を持つ人たちで分業の立て直しを図りたい。今は私が全てやっていますが、イグサを育てる人、イグサを染める人、ござを織る人…といったように、それぞれにやりたいという人を集め、昔の分業形態を現代版に改編したチームを作るのが理想ですね。そのためには、工程に関わる全ての人が食べていけるようにしていかないと。だから、私がその礎を早く築かなければいけません。まあ、私が品質の高いござを織り続け、いつも楽しく仕事をしていれば、一緒にやってみたいという人もきっと現れてくれるんじゃないかな」。

倉敷市庄の住宅地の一角にある俊文さんのイグサ田。手塩にかけて育てているイグサは「岡山3号」という品種で、岡山県内には現在ここにしか生育していない。この田んぼで採れたイグサしか使わないため、1年間に作れる製品の量は決まっている。通常は捨てられる短いイグサも無駄なく使い切る。
「イグサラボ」の主力商品として育てていきたいという「寝ござ」。華やかな柄の花ござとは異なり、イグサの根本と穂先の自然な色の違いによるシンプルな縞模様。優れた吸湿性で真夏でもひんやり心地よい(写真提供/イグサラボ)。

今吉 俊文

元は農業機械の修理・販売の仕事に就いていたが、人手不足の家業を助けるためイグサに携わることに。以後は倉敷のイグサを使った手作りの製品づくりに情熱を注ぐ。長年培われてきた倉敷イグサの伝統や、先人の技術や想いを未来に残すべく日々奮闘している。

倉敷いぐさ 今吉商店/イグサラボ

岡山県倉敷市西阿知町1007-33
10:00~17:00 土・日曜日、祝日休 ☎086-465-4275 https://igusalabo.com 

この記事を書いたのは…
瀬戸内民家シリーズの雑誌表紙

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