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“いとをかし” 畳の世界 ④「備後表」を守り続ける人々。

広島県東部の福山市周辺で栽培されたイグサを使った「備後表」。その美しさと素晴らしい品質は、畳表の最高級品として昔から高く評価されてきた。現代では畳表の需要低下や、外国産畳表の台頭、後継者不足といったさまざまな理由より、先人から脈々と受け継がれてきた備後表の歴史と伝統技術が途絶えようとしている。備後表の継承と後継者育成を目的とする団体「備後表継承会」のメンバーに、主な活動内容や今後の展望、備後表に対する想いなどを伺った。

<取材・写真・文/鎌田 剛史>

織田信長や豊臣秀吉も愛用した畳表の最高峰。

福山市今津町にある「蓮華寺」の本堂に敷かれた畳には、福山大学の織機で織った「備後三蔵動力中継表」が使われている。中央でイグサが交互し重なり合った部分に縦筋が入っているのが中継表の特徴だ。

現在国内でイグサ栽培が行われている県といえば、主に熊本、福岡、高知、広島、石川、沖縄などが挙がる。これまで各地域ではそれぞれ特徴のある畳表が作られてきた。その中でも広島県東部の福山市や尾道市周辺で作られる「備後表」は、畳表の最上級品としての名声が一段と高い。地元の厳選したイグサを使用し、表皮は厚く粒ぞろいで、青みを帯びた銀白色の上品な光沢を放つのが特長だ。

備後表は、福山市の沼隈半島周辺に野生していたイグサを水田に栽培し、これを製織したのが始まりと考えられている。南北朝時代の日記「師守記」には、沼隈半島やその周辺で生産された畳表が「備後莚」の名で記されており、当時すでにイグサ栽培や畳表の製造が同地域で盛んに行われていたことがうかがえる。
また、織田信長が「畳は備後表に高麗縁」として安土城天守に用いたほか、豊臣秀吉を祀る豊国神社にも備後表が使用されたという記録が残っている。さらに、江戸時代には安芸備後の領主・福島正則が備後表を江戸幕府へ献納し、「表奉行」や「畳表改役」などの役職を置いて保護統制を敷くなど、備後表は古から日本最高の畳表として重宝されてきた。

備後イグサを使った備後表を守るために。

冒頭の章で述べたように、時代とともに国内のイグサ作付面積は激減し、畳表の供給量も大幅に減少。現在は国内に流通する畳表の約8割は中国などから輸入している外国産である。2021年度の国内のイグサ生産量は約6,390t、畳表の生産枚数は約195万枚で、それぞれの約95%以上を熊本県産が占めている。その他のイグサ産地は軒並み著しく衰退しており、広島県の備後表も絶滅の危機にひんしているのが現状だ。
そんな厳しい状況の中で、400年以上の歴史と伝統を誇る備後表のブランドを守り、後世に伝えていくために活動している団体がある。「備後表継承会」だ。

「備後表継承会」の設立へとつながる最初のきっかけとなったのは今から7年前。福山大学工学部建築学科教授の佐藤圭一さんが県外から地元・福山に戻ってきた際、自宅の一角に畳を敷こうと考えたことだ。「せっかくなら最高級品である備後表の畳にしたくて。地元の建築関係者に入手方法などをいろいろと聞いてみたんですが、流通ルートを知らなかったり、今ではもう手に入らないといった返事が多かったんですよね。そのうちに福山市周辺ではイグサを栽培している農家や企業が、ほんの数軒しか残っていないことも分かったんです」。

このままでは数年後に備後イグサの栽培は途絶え、備後表も消滅してしまうのではと危機感を募らせたという佐藤さん。そんな時に巡り会ったのが、畳表の製造卸「佐野商店」の佐野良信さん・達哉さん親子だった。同社は現在も福山市内で備後イグサを栽培し、昔ながらの備後表を製造し続けている。同社が管理するイグサ田で見学会が開かれることを知った佐藤さんは、当日飛び込みで参加したそうだ。

現在同社の社長を務める佐野達哉さんは、佐藤さんとの出会いや、これまでのいきさつについてこう振り返る。「今から約10年前に福山市内のイグサ栽培農家がゼロになってしまい、このままでは備後が誇る伝統が途絶えてしまうと、先代の父がそれまで一時止めていた備後イグサの栽培を復活させ、私も一緒に作業を手伝っていました。6年ぐらい前にうちの田んぼで開催した見学会に佐藤さんがひとりでやって来て、その時が初対面だったと思います。見学会後も佐藤さんはうちの母とメールでやりとりをしていたようです。備後表を守るために何かできないかと考えていた父は、そんな熱心な佐藤さんに『備後表にそんなにも関心があるのなら、一緒にやらないか』と誘ったんです。そこから仲が深まっていきました」。

その後良信さんが志半ばで逝去し、その遺志を継いで佐藤さんと達哉さんを中心に備後表の継承活動を行う団体立ち上げのために奔走。福山市内外で畳や建築に携わる人や企業などに協力を求め、2018年に「備後表継承会」の発足にこぎ着けた。

取材に協力いただいた「備後表継承会」のメンバー。左から金子慎一郎さん、佐野達哉さん、佐藤圭一さん、山園将平さん。
地元で栽培された備後イグサ。現在は福山市に2軒、尾道市・三次市にそれぞれ1軒ずつの計4軒でしか栽培されていない。

絶滅寸前の備後イグサ栽培を続ける「佐野商店」。

転倒防止用の綱上げ作業に汗を流す「佐野商店」の佐野達哉さん(左)。かつてこの地域ではイグサ栽培が盛んに行われ、イグサ田が一面に広がっていたそうだが、今やその面影はない。同店では2022年は3枚の田んぼでイグサを栽培。絶滅寸前となった備後イグサを残すためにも、今後は徐々に栽培量を増やしていきたい考えだ。

「佐野商店」が管理するイグサ田は福山市本郷町にある。今年は3枚の田んぼでイグサを育てているそうだ。目を見張るほど青々としたイグサが初夏の日差しを受けてキラキラと輝いている。

この日はイグサの転倒防止用の網を引き上げる作業が行われていた。2人で網の両端を握り、グイグイ左右に揺さぶりながら胸元辺りまで持ち上げていく。「イグサは最終的に170㎝ぐらいまで成長します。成長の度合いに合わせ、2~3週間に1回ぐらいの頻度で網の高さを徐々に上げていくんです。これがけっこう重労働で」と、佐野さんは汗びっしょりの額を拭いながら教えてくれた。

イグサは毎年11月ごろに苗を植え付け、翌年7月上旬に刈り取りを行う。佐藤さんが教鞭をとる福山大学建築学科の学生たちもゼミなどで栽培作業に参加しているそうだ。「私が担当している学生は建築業界に就職する者がほとんど。畳表の原料であるイグサの栽培を体験することで、畳文化を残していく意義や重要性について認識を深められ、将来自身の仕事に生かせることもきっとあるのでは」と佐藤さんは期待を込める。

この日取材に同行してくれた福山大学4年生の金子慎一郎さんは、来年から工務店の施工管理職に就くことが決まっているといい、「畳という建築部材を深く学び、これからの日本の建築においても重要であると実感しました。備後イグサや備後表について身に付けた知識と体験を、これからの仕事にも役立てていきたい」と話していた。

「佐野商店」が管理する福山市本郷町のイグサ田。苗の植え付けや収穫の際には、継承会主催の見学会や体験会を開催している。
備後イグサの栽培には「福山大学備後地域遺産研究会」の学生も参加。備後表の歴史と文化や、日本人の生活における畳の重要性についての造詣を深めている(写真提供/ 備後表継承会)。

国内でも数少ない「中継表」が織れる貴重な織機を使用。

「佐野商店」の作業場にある中継表の織機は、国内で唯一の「動力織中継六配表(R)」が織れる。国宝級の寺社仏閣や茶室をはじめ、国内外のVIPの邸宅の畳に使われる備後表の製造を引き受けている。

福山市芦田町にある「佐野商店」の作業場。その中でひときわ存在感を放っていたのが、年季の入った大きな織機だ。これは「中継表」専用の織機で、現在ここと福山大学にあるものを含め、商用レベルで稼働するものは全国に数台しかないという。「備後で生まれた中継表は2本のイグサを中ほどでつなぐ技術。イグサの真ん中の綺麗で丈夫な部分だけを使い、イグサも通常の畳表より約1.5~2倍の量で織るので厚みと重みがあるのが特徴です」と佐藤さんは話す。

「佐野商店」の織機は国内で唯一「動力織中継六配表(R) 」が織れるといい、継承会のメンバーである畳表織機メーカー、福山市の「中村機械製作所」と熊本県の「山園織機製作所」両社の社長・山園誠司さんらの協力を得て改良を重ね、完成させたそうだ。「昔の中継表は手織りで手間と時間が相当掛かる上に重労働でした。それを動力で効率よく織れるようにしたのがこの織機です。『配』とは畳表の山の部分のことで『六配』が最高級品とされます。一般の畳表よりも幅が広く、さまざまな規格の畳に対応できるのも魅力です」と、佐野さんは胸を張る。

そんな貴重な織機に異常がないか目を光らせていたのが、「中村機械製作所」の山園将平さん。25歳の若きエンジニアだが、佐藤さんと佐野さんは「将平さんは技術と知識が豊富で、何かあるたびにいろいろと相談に乗ってくれる強い味方。いつも力になってくれて助かっています」と大きな信頼を寄せていた。

「佐野商店」で栽培するイグサを使った備後表の生産量は、田んぼ1枚につき年間約300~500枚ほど。現在、備後表は主に神社仏閣に使われることが多く、福山市の「明王院本堂」や宮城県の「瑞巌寺本堂」をはじめとする全国の国宝建築にも多数用いられている。

「備後表は国宝級の寺院や茶室などの修理時に使われるのが今はほとんどですが、今後は一般の住宅や公共建築にも普及させていきたい」と佐藤さん。そのためにはユーザーの認知度をさらに高めるとともに、備後イグサの栽培量の増加や後継者の育成、地元の畳店や住宅会社へ取扱量を増やしてもらうよう働きかけるなど、粘り強く取り組むべき課題も多いという。

福山大学で現在も稼働する備後表の織機。農家の倉庫に眠っていたものを引き取り復元修理したもので、2本のイグサをつないだ「中継表」を織ることができる。
織機のメンテナンスや修理を担当する「中村機械製作所/山園織機製作所」の山園さん。

備後表の普及啓発と後継者育成、次代へ継承する道筋づくりに注力。

2021年の「蓮華寺」本堂の表替えの様子。京都の文化財畳保存会に所属する畳職人と、地元の若手畳職人が研修も兼ねて協働で施工。福山大学の学生たちが織った備後表を畳床に手縫いする作業も同所で行われた(写真提供/備後表継承会)。

現在「備後表継承会」では、イグサ田の見学会や、市民対象の研修・講演会の実施、各種メディアへの出演など、備後表の普及啓発に力を入れている。また、PR活動の一環として備後イグサの浪人笠や虚無僧笠づくりを手掛ける職人とタッグを組み「イグサハット」を商品化。丈夫で型崩れせず、素朴な味わいの手作り感が好評で、一時は生産が追いつかずオーダーをストップするほど人気を集めている。

取材の締めくくりに、佐藤さんと佐野さんに備後表が他の畳表よりも優れている具体的な部分についてあらためて尋ねると「ぱっと見てここが違うというところを挙げるのは…難しいですね」と、ふたりとも苦笑いを浮かべた。「熊本をはじめとする国内産畳表はもちろん、今では中国からの輸入品も品質は上がっています。ひょっとすると、一見では備後表の方が見劣りすると感じる方もいるかもしれません。ですが、備後で育てたイグサを、備後の目利き職人が丁寧に織ることに大きな価値があると思うんです。約400年も前から高く評価されてきたブランド品ですからね。確かに価格は他の畳表よりもうんと高いですが、美しい輝きやきめ細かな肌ざわりを長い間保ち続ける品質は確かなもの。長い目で見ればトータルコストにも優れています。何より、日本の名だたる名建築に使われてきた畳が自分の家にあれば、それだけで特別な気分が味わえますし、家自体の格もぐんと上がります」と、佐野さんは言葉に力を込める。

佐藤さんも「私は『畳は日本建築文化の核心である』と考えています。生活様式の変化などで畳の衰退が著しい現代ですが、独特の畳文化を絶やしてはいけないと思っています。備後表を次世代に残すためには、備後イグサの栽培を続け、担い手を育てること、そして、まずは地元の多くの人に知ってもらい、使ってもらうことが一番。今後も佐野さんをはじめ、会員企業や団体、福山大学と結束して、多方面に活動を展開していきたい」と意気込みを見せていた。

備後藺笠職人が手掛けた「イグサハット」。伝統の技術で丁寧に編みこまれた模様が美しい。イグサハットは、備後表継承会の会員でもある福山市松永町の「骨董&ギャラリー喫茶蔵」で販売されている。
2022年7月には、福山市鞆町の重要伝統的建造物群保存地区内にある江戸期の古民家に、継承会の「鞆事務所」を開設。ここでは備後表の普及啓発を図る多彩な催しなどを開催していく予定だ(写真提供/備後表継承会)。

佐藤 圭一(写真右)

福山大学工学部建築学科教授。「備後表継承会」の会長を務め、会員企業・団体と共に備後イグサによる備後表の保全と継承に力を注いでいる。備後表の普及啓発を図る同会の精力的な活動が評価され、2021年度には厚生労働省主催「地域発! いいもの」に選定された。

佐野 達哉(写真左)

「有限会社 佐野商店」代表。「備後表継承会」では副会長を務める。先代の父・良信さんの遺志を受け継ぎ、佐藤さんと共に備後表の継承に情熱を注いでいる。

備後表継承会

【事務局】
広島県福山市本郷町3020 アトリエ本郷内「藺庵」
【鞆事務所】
広島県福山市鞆町鞆821-1スタジオ鞆内「蔀庵」
9:00~17:00 不定休 ☎050-5319-4448 https://www.bingo-igusa.com 

有限会社 佐野商店

広島県福山市芦田町上有地2580-1
8:00~17:00 第2土曜日、日曜日、祝日休 ☎084-958-2035  https://www.sanoshouten.co.jp

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瀬戸内民家シリーズの雑誌表紙

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