SETOUCHI MINKA

【職人青春グラフィティ】光平、綸太郎、20歳。職業、大工。

プロ野球選手に憧れ、バットとグローブを手に、元気いっぱいにグラウンドを駆け回ったふたりの野球少年。10年後、青年へと成長した彼らは、その手に今度はハンマーとインパクトを握り締め、日々家づくりと対峙している。“一人前の大工になること”を夢に抱く、現代っ子である若手大工の日常を追った。これがどこにでも転がっているジェネレーションギャップで終わるのか、はたまた、ベテラン腕利き大工のやんちゃなエピソードに昇華するのか。すべては、彼ら次第だ。

<取材・写真・文/鎌田 剛史>

家づくり職人への道を突っ走る、若きふたりの青春(リアル)

大工の道に進んだのは、正直、なんとなく…です。

プロスポーツ選手になるという夢は、男の子なら誰しも一度は憧れるものだ。一方で、そのほとんどは夢が夢のまま終わってしまうことを、誰もが周知している。その決断の早い遅いは十人十色だが、成長著しい中学生ないし高校生の段階で、自身のキャパシティを尺度に一区切りつけ、新たな指針を見出し、成人を迎えるのが一般的だろう。

家づくりを考えているお客様を迎えるモデルハウスの建築現場で、訥々と木材のカットに専念する彼もそうだった。詰石光平、20歳。声をかけると恥ずかしそうに、ちょこんと頭を下げた。

小学校から高校まで野球に打ち込んだ。守備はセカンド、サード。一般的な野球少年がそうであるように、光平も甲子園、はてはプロ野球選手を目指し、青春時代は白球を追いかける毎日だった。高校生最後の夏、高校野球県予選で敗退した瞬間、潔くその夢にピリオドを打った。

高校卒業後の進路をどうしようかと考えている時、少年野球のクラブチームでお世話になった保護者会長と再会した。「チームメートだった綸太郎のお父さん。工務店の社長で。久しぶりに会って、今後の話とかいろいろしていた時、大工の仕事について聞いてみたんです。興味あるならお前、大工になるかって誘われて。そのまま、じゃあ、やってみます、と…」。

作業も佳境を迎えたモデルハウスの建築現場。この日はあいにくの雨模様。光平は造作家具の組み立て・据付に精を出していた。

カッコイイ親方のように、ボクもいつか、なりたい。

「つっちゃんは無口で静かな性格だけど、ほんと真面目。教えることはノートに小まめに書き留めてちゃんと勉強してるし、仕事を覚えるのも早いですよ」と、棟梁の三谷祐一郎は目を細める。大工になると決めた光平を自分の下に受け入れて約2年。技術はまだまだ未熟ではあるものの、光平の誠実な仕事ぶりには太鼓判を押す。三谷棟梁にとって、光平は良き弟子であり、パートナーだ。

光平も三谷棟梁には絶大な信頼を寄せている。「大工の世界って上下関係が厳しいイメージがあったけど、親方はいつも優しくて。仕事も丁寧に教えてくれます。怒られたことですか?ないです。僕も早く親方のようになりたいって思ってます。カッコイイです」。うつむき加減にボソボソと答える光平の横で、三谷棟梁は照れくさそうに笑っていた。

チェーンソーを使っての木材カットも慣れた手つきでこなしていく。その真面目な仕事ぶりは親方や他の職人仲間からも一目置かれている。

公平に信頼を置いている三谷棟梁。

モノをつくるのが好き。性格に合ってると思います。

大工の仕事は多岐にわたり、習得しなければならない知識とスキルが山のようにある。光平もそこが大変だと唇をかみしめた。「次は何の作業をする、って先を見て動くことがまだできません。早く自分で動けるようになりたいです。それまでは親方からの指示をちゃんとこなせるように、一つひとつの仕事をきちんとすることを、いつも心がけてます」。

元来、モノをつくることが好きだったという光平。自分でもひとりでコツコツと作業に集中するのが性に合っているという。そんな光平の人柄がわかるエピソードを、三谷棟梁がうれしそうに教えてくれた。「今の時代、年賀状もメールやラインで済ませる若い奴らが多いのに、つっちゃんは律儀に手書きの年賀状を送ってくるんですよ。ご丁寧に絵まで描いちゃってね。コイツ、可愛いヤツだなって(笑)」。

棟梁の指示を受け、静かにてきぱきと作業をこなす光平。手先を一心に見つめるその瞳は真剣そのもの。額にはじんわり汗が浮かんでいる。そんな光平に夢を聞いてみた。「早く仕事を覚えて、一人前の大工になりたいです。父や母にも『親方になるまでは辞めるな』ってハッパかけられてるし…。いつかは独り立ちして、自分で仕事を取れるようになりたい。もっと給料ももらいたいです(笑)」。

大工は朝が早く、肉体的にもきつい仕事だ。だが、光平はそんな毎日が楽しいと、つぶらな目を輝かせながら話す。「親方やいろんな職人さん達と一緒に、家をゼロからつくっていくことにやりがいを感じます。自分が携わった家が出来上がり、それを見てお客様が喜んでいる姿を見た時が、最高にうれしい瞬間です」。そう言って、少し控えめに胸を張った。

オシャレに仕事したい。ピアスした大工って変すか?

本人曰く、飽きっぽい性格。これまで何度か辞めようと思ったこともあったそうだが、持ち前の負けん気で、山地棟梁の下、日々修行に精進している。

「綸太郎、2階クローゼットのハンガー取り付けてくれ」。棟梁である山地和裕の指示が飛ぶと、彼はインパクトとスケールを片手に、軽々とはしごを駆け上がっていった。色あせたジーンズの裾は、今時らしくくるぶしが見えるぐらいに折り返されている。

少し蒸し暑い室内に、インパクトドライバーの音だけが響く。ネジ先を見つめる横顔は真剣だ。大工らしく鉛筆をはさんだ耳には、シルバーのピアスがキラリ光っていた。「大工もオシャレしていいと思うんすよ。作業服にタオル頭に巻いてとかってイメージあるじゃないですか。オレ、ダサいのはやっぱりイヤなんすよね」と、屈託のない笑顔で話す彼の靴は、靴下が見えるくらいボロボロだ。オシャレは足下からだろ…と、老婆心から突っ込みたくもなったが、若さゆえ、とでもいうか、何とも微笑ましい。

20歳の宮川綸太郎は、幼い頃から大工である父の背中を見て育った。幼い頃はノコギリやハンマーなどの大工道具で遊んでいたという。「中学生の頃には親父が興した工務店を継ぐと決めてました。オレ、長男だし。そのためには、家づくりの基本を知っていないと話にならないので、まずは大工として、親方の下で修行させてもらってます」。

綸太郎の面倒を見ている山地棟梁も、彼の父の下で修行した身だ。「親父さんの代わりに綸太郎を育てるのは、ちょっとプレッシャーもあるけど、アイツは器用だよ。やっぱり親父さんの血が流れてるからかな。仕事の飲み込みも早いし、みんなを引っ張るリーダー気質もあると思う。将来は大きな存在になってほしいよね」。

小学校から高校まで野球に打ち込んだ綸太郎。小・中学校時代はエースで4番を務めるほどだった。

前述の光平とは、小・中学校でともにチームメートとして野球に打ち込んだ仲間である。「アイツと一緒に大工をしてるなんて、まさか思ってもなかったですけど。まあ、気の知れた幼馴染なので、アイツが頑張ってるとやっぱりオレも励みになるし。今度は大工として、一緒に成長していきたいって思ってます」。とは言いつつも「アイツに先越されたくないっていう気持ちは強いです。ライバルっすよ。オレ、負けず嫌いなんすよね」と、言葉に力をこめた。

仕事で得られる感動って、なんか別格だと思います。

現場に納入された建築部材をせっせと運ぶ綸太郎。普段はお調子者の性格だが、仕事中の表情は凛々しい。野球で鍛えた腕っ節は今も健在だ。

建築部材が到着すると、綸太郎が手際よく家の中に運んでいく。さすがは元アスリートだけあって、重たい木材も威勢よく担ぎ上げ、屋内と外を何往復もする様は、若さが満ちあふれていて、たくましい。

大工の仕事にも、野球で培った体力と経験が大いに生かされていると言う。「チームスポーツで身に付けた挨拶や礼儀、親方や他の職人さん達とのコミュニケーションとか、今になってとても役に立ってると思います。当然なんですけど、家はひとりじゃ建てられませんから。現場に携わる職人同士の連携プレーがうまくいってこそ、最高の家づくりができるんだって実感してます。そこは野球と同じです」。

休憩中、綸太郎が山地棟梁や職人達に缶コーヒーを配りながら場を和ませている。気になる女の子のことやテレビ番組の話題など、他愛もない話に花を咲かせつつ、山地棟梁とこれからの作業の段取りなどについて、熱心に意見を交わしている。

「オレにとって、親父の存在はやっぱり大きいですよね。あの大きな親父の背中を越えることができてこそ、いっぱしの大工になれると思ってます。そのためにも、親方から大工のイロハを教わって、何でも自分でできるように早くなりたい。日々、勉強、勉強っすね」。スマホを片手に意気軒昂に語る綸太郎の頭を、山地棟梁がやんちゃな笑みでコツンと小突いた。

一人前になりたいなら、大工としての「覚悟」を持て。

梅雨の合間、ひょっこり顔を見せた太陽がやけにまぶしい。目を細めて見上げると、真っ青な空に白いヘルメットがくっきり映えていた。

棟上で忙しく動き回る職人達の中に、光平と綸太郎の姿を見つけた。光平は1階で筋交いを固定する作業に汗を流している。綸太郎は屋根に上がり、太陽の強烈な照り返しを受けながら断熱材の敷設に追われていた。ふたりとも軽やかな足取りで、足場をひょいひょい飛び移っていく。

綸太郎はこう言った。「大工になって最初の現場は棟上だったんです。職人達が素早い身のこなしで入り組んだ現場を動き回る様に『ああ、カッコイイな…』って見とれちゃって。だって、家の骨組みをたった1日で、みんなで組み上げるんすよ。男のロマンみたいなものを感じたんです。そこでオレも、早くああなりたいって」。

光平は「そこに何もない状態から、だんだん巨大な物体が出来上がっていくのを間近に感じられる。そこが大工の醍醐味なのかも」ときっぱり。

作業の行方を見守っていた綸太郎の父・豪紀がそっと教えてくれた。「大工はな、自分が担当した場所で出来が気に食わないところがあったら、もうずっとそればかり気になって仕方がないんよ。そんな時は家に帰って飲むビールもまずい。夜も眠れない。いてもたってもおれんから、また現場に戻ってやり直したこともあるよ。アイツらもそれぐらい、自分の仕事に責任と誇り、大工としての覚悟を持つことができるようになったら、一人前って認めてやる。お施主様からいただいたご祝儀も、普通ならありがたくて使えんよ。オレは今までいただいたもの、全部大切に取ってあるもん。やけど、アイツらはすぐ封切って使うてしまうんよな…。だから、まだまだ半人前(笑)」。


国土交通省発表の『大工就業者数の推移』を見ると、昭和55年には93万7千人だったのが、平成22年には40万2千人となり、25年間で約半数にまで減少している。さらに、大工の高齢化も深刻な問題で、大工約40万人のうち、60歳以上が約11万人と約3割を占める一方、30歳未満の若い大工は約3万人と極めて少ないのが現状だ。今後は大量の退職者が出ることは避けられず、建築業界にとって先行きは明るいものではない。

ただ、光平や綸太郎のような、家づくりに情熱を燃やす若手大工が、少ないながらも確実に存在しているのも事実だ。夢と希望に満ちあふれ、最高の家づくりを提供しようと、日々研さんを続ける若者達がいる限り、大工の火は決して消えることはないだろう。

いや、強烈なアドレナリンを噴き出しながら、現場を躍動する彼らがきっと、その火を絶やさない。

(文中敬称略)

詰石 光平

平成10年1月17日生まれ。休日は友達とドライブに行ったり、買い物したりしてストレス発散。彼女いない歴3年。忙しい毎日で女の子との出会いが少ないのが目下悩みの種。

宮川 綸太郎

平成9年8月12日生まれ。趣味はオシャレ。休日にはフットサルや草野球に興じるアウトドア派。好きなタイプの女の子は、明るくてショートカットが似合う子。真相は定かでないが、本人曰く、ただ今彼女募集中だとか。

取材協力/株式会社 MIYAGAWA

香川県丸亀市飯山町東坂元2839-5
☎0877-98-1430
http://www.m-miyagawa.com

※文章の内容、写真、情報は2018年の取材当時のものです。

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