Mさまご夫婦が新居を構えた玉野市は、温暖で雨が少ない典型的な瀬戸内海地域。ここかしこに風光明媚な風景が広がるこの町には、自然の恩恵を存分に享受しようと外に大きく開かれた家も多い。にもかかわらず、この新邸には、東西南北どこから眺めても内と外をつなぐような大開口は見当たらない。1階は勝手口と北向きの小窓が一つ、2階には東西に高窓と天窓があるのみ。ただ、そのわずかな開口からこぼれ入る自然の気配はとても精彩だ。北窓から差し込む陽光の柔らかな感触。時折聞こえる電車音がまとう空気の潤みと渇き。床や壁に落ちる木漏れ日が伝える風の揺らぎ。その全てから刻々と移りゆく季節を、時の流れを、いっそう印象的に感じ取ることができる。家づくりを思い立った時から、空間も窓も必要最小限に留めようと決めていた。一歩外へ出れば眼前に森が広がり、30分も車を走らせれば多島美が彩る海岸もある。そんな自然あふれる環境で大げさに外景を取り込む必要はない。望んだのは、小さくても上質で心豊かな暮らしを紡げる場所。その思いに、代表の上久保隆幸さんは伝統的な「田の字の家」を思わせる十字のフォルムで応えた。玄関や廊下を排して生活空間を凝縮し、既製品は極力使わず建具から外壁ブロックまで自ら造形。光と陰を巧みに操り、空間の印象を研ぎ澄ませることで、日々の営みに内包され、同時にそこから連鎖する心地よさを追求した。街の中でも大自然の前でも浸ることのできない、ご夫婦のためだけに描き出された世界観。この家に積み重なる日々は風景になり、交わされる言葉は詩となって新たな物語を紡ぎ始めている。
建築実例データ | |
|
私は作り手・大工として建築に入りました。次第に設計と現場作業を一貫して行うようになり手で考える事の大切さを再認識しました。また建築は商品ではなく、設備の塊でもない。建築は住む人の生きる道筋の表現。不確かで不安定な時代にあってもその空間に居ることで自分に戻れる場所になる事。その為にひとつひとつ愛情を持って作りたいと思います。
代表取締役 上久保 隆幸