SETOUCHI MINKA

兵庫県の伝統的工芸品図鑑。

木、草、土、石といった自然素材を高度な技術で加工した伝統工芸品は、はるか昔より日本人の生活や文化を支え続けてきた。人間の磨き抜かれた手から生み出される品々の繊細さと美しさは、日本が世界に誇れるもののひとつ。瀬戸内にも多彩な伝統工芸品が今も残り、愛され続けている。古来より人々の暮らしに寄り添ってきた兵庫の伝統工芸品を一堂に紹介。味わい深い匠の逸品を、住まいの一部にアクセントとして取り入れてみてはいかがだろう。

<取材・文/鎌田 剛史>

この記事を書いたのは…
瀬戸内民家シリーズの雑誌表紙

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繊細な手仕事が生む匠の逸品

播州そろばん(ばんしゅうそろばん)

写真/鎌田 剛史

兵庫県小野市は日本一のそろばんの産地として有名。この地で作られる「播州そろばん」は、安土桃山時代に製造が始まって以来、長きにわたり人々の生活に欠かせない計算道具として愛用されてきた。経済産業大臣指定の伝統的工芸品。

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丹波立杭焼(たんばたちくいやき)

瀬戸、常滑、信楽、備前、越前と並んで日本六古窯の一つに数えられ、その起源は平安時代末期までさかのぼる。日本では珍しい「登窯」と呼ばれる窯で焼かれ、素朴さを感じさせる日用雑器を中心に、高い人気を誇る。経済産業大臣指定の伝統的工芸品。

出石焼(いずしやき)

出石焼の創始は垂仁天皇の時代といわれ、磁器として焼かれたのは江戸時代に入ってから。絹の肌のような「白磁」出石焼は、清楚な風情を持ち、優雅で気品にあふれ、彫刻が素地の白を一層引き立たせている。経済産業大臣指定の伝統的工芸品。

播州毛鉤(ばんしゅうけばり)

天保年間に地元の行商人が京都より持ち帰り、その製法を広めたことが始まり。虫に似せて作る毛鉤は、わずか1cm足らずの鉤に数種類の鳥の羽を絹糸で巻き付け、金箔や漆などを使って仕上げられる。経済産業大臣指定の伝統的工芸品。

豊岡杞柳細工(とよおかきりゅうざいく)

円山川に自生するコリヤナギで籠を編むことから始まり、城下町を形成した豊臣時代に産業として成立。江戸時代には「豊岡の柳行李」として知られるようになった。ファッションの多様化が進む現代ではバスケット類が主製品になっている。経済産業大臣指定の伝統的工芸品。

播州三木打刃物(ばんしゅうみきうちはもの)

1580年の三木城落城の後、町の復興の際に各地から大工職人や鍛冶職人が多く集まったことから発展したといわれている。現在も鋸、鑿、鉋、鏝、小刀の製造において手作りの技を守り続けている。経済産業大臣指定の伝統的工芸品。

大阪唐木指物(おおさかからきさしもの)

江戸時代、唐木を扱う商人や職人が大阪に集まったことで一大産地が形成され、技法が確立されたと考えられている。現在では大阪府を中心に、兵庫県の淡路市や姫路市、福井、奈良、和歌山の各県で製造されている。※大阪府の経済産業大臣指定伝統的工芸品だが、兵庫県の伝統的工芸品にも指定されている。

有馬の人形筆(ありまのにんぎょうふで)

有馬の人形筆の起源は、室町時代であるといわれている。筆を持つと筆の尻から可愛い人形が飛び出すからくり細工と、絹糸を巻いた美しい模様の柄が特徴。引出物や有馬温泉の土産物として今も親しまれている。

有馬籠(ありまかご)

写真提供/株式会社 くつわ

桃山時代に始まったとされる有馬籠は、竹ひごをさまざまな編み組みで容器などに編んでいく。現在でも茶華道向けの高価な籠や、日常生活になじみ深い果物盛器など、多様な籠が作られている。

兵庫仏壇(ひょうごぶつだん)

兵庫仏壇は、江戸時代に京都で仏具製造を修行した職人がその技術を持ち帰り、京都の下請けとして仏壇を製造したのが始まりといわれている。今も天然の原材料を使い、幾多の工程を手作業で行う製品は、伝統技術の結晶として重宝されている。

杉原紙(すぎはらがみ)

写真提供/杉原紙の里
写真提供/杉原紙の里

多可町で伝統技法を用いて作られている手すき和紙。奈良時代に由来を持ち、大正末期に一旦途絶えたものの、1970年に昔ながらの技術で再現され、今日では書道用和紙やカラフルな民芸紙などが好評を博している。

明珍火箸(みょうちんひばし)

19世紀初頭に甲冑師がその技術を生かして火箸を作ったのが始まり。現在代表的な型はツクシ型、ツヅミ型、ワラビ型、カワクギ型の4種類。最近では火箸を利用した風鈴も人気を博している。

姫革細工(ひめかわざいく)

白くなめした革は、4~5世紀ごろ姫路地域で始まったといわれ、戦国時代には鮮やかに染色され、甲冑や馬具装飾などに使用されていた。現在ではブックカバーやハンドバッグ、札入れなどの多彩な製品が広く愛用されている。

城崎麦わら細工(きのさきむぎわらざいく)

江戸時代に城崎へ湯治に訪れた半七という男が、宿賃の足しにと色鮮やかに染めた麦わらをこまなどの玩具に貼り付け、浴客の土産としたのが始まり。その美しく多彩な模様は今も高く評価されている。

丹波布(たんばぬの)

江戸時代末期に始まる丹波布は、綿から糸を紡ぎ、手織りばたで織り上げるのが特徴。藍、栗の皮、こぶな草などの植物染料を用いて染め上げた糸が織りなす縞や格子柄は、素朴なあたたかさを伝えてくれる。

名塩紙(なじおがみ)

西宮北部の名塩の里に、越前から抄紙技術が伝わったのが始まり。雁皮に名塩周辺の泥土を混ぜて漉くという技法により、シミができにくく、変色しない特長がある。現在も独自の技法を守りながら製造されている。

美吉籠(みよしかご)

吉川町で古くから農業の副業として作られていた竹籠がルーツで、美しい網目模様が特徴。原材料の竹は吉川町で採れる苦竹と淡竹のみを使用。「二本とび網代編み」と呼ばれる独特の技法で製作されている。

赤穂雲火焼(あこううんかやき)

江戸時代後期に創出されたという焼物で、黒色を加味した赤く燃え上がるような紋様が特徴。長らく陶土・焼成方法不明の幻の焼物とされていたが、1982年の復元成功以来、赤穂の郷土品として親しまれている。

しらさぎ染(しらさぎぞめ)

奈良時代から続く播磨地方の藍染物。江戸時代には姫路藩が藍製造を奨励したこともあり、藍染物生産は大いに栄えた。その後、明治時代に一旦途絶えるが、伝統の藍染めに播磨のシンボル姫路城を図柄に取り入れ、1969年にしらさぎ染として復活した。

姫路仏壇(ひめじぶつだん)

姫路地方には古くから仏壇を立派なものにするという風土があり、江戸時代ごろから製造が盛んに。姫路仏壇は大型なものが多く、外観は豪華絢爛で重厚という特徴があり、偉容を誇る姫路城ともイメージが重なる。

和ろうそく(わろうそく)

江戸時代に姫路藩の藩業として作られていた和ろうそく。現在も製造しているのは1社のみ。1877年ごろに大阪で製造を始め、戦後に西宮に移って以来、寺院の灯明用や家庭用などの製品を作り続けている。

姫路独楽(ひめじこま)

幕末から明治初期に製造が始まったとされる姫路のこまは、「金回りが良くなる」などの意味や願いが込められ、庶民に親しまれてきた玩具。現在でも昔ながらの製法で作られている。

姫路張子玩具(ひめじはりこがんぐ)

姫路地域における張子玩具は豊岡直七が始めたといわれている。薄い割にしっかりした造りで、牡蠣の殻をすり潰した粉とニカワを混ぜ合わせたふのりを使い、色鮮やかに仕上げているのが特徴。

王地山焼(おうじやまやき)

江戸時代末期に篠山藩主・青山忠裕が京焼の陶工を招き、王地山で藩窯を始めたのが発祥とされる。その後藩の廃止とともに廃窯となって以来その伝統は途絶えていたが、1987年に篠山市が王地山陶器所を再興し、当時の技法を現代に再現している。

丹波木綿(たんばもめん)

丹波地域ではかつて良質の綿が生産され、手織りの木綿製造も盛んだったが、明治以降は機械化による大量生産化が進んだことで衰退。その後1974年に同志が集まり昔ながらの製法による手織り木綿を復活させた。

三田鈴鹿竹器(さんだすずかちっき)

良質な竹を求めて香川から訪れた竹細工職人が技術を伝えたのが発祥とされ、江戸時代中期より広く名が知られるようになった。1960年代後半あたりまでは地場産業として隆盛したが以後衰退。現在は1軒のみが製造を続けている。

播州鎌(ばんしゅうがま)

明治維新ごろに刀鍛冶の藤原伊助が創案。切れ味がよく、軽く、研ぎやすいと評判を集め、以後は地場産業として発展を続けた。現在も小野市を中心に東播磨地域にある多くの事業所で生産されている。

播州山崎藍染織(ばんしゅうやまさきあいぞめおり)

宍粟市をはじめ播州地域では古くから藍作りが行われており、昭和初期まで多数の紺屋が藍染織を製造していたが、需要の減少などで一旦途絶えた。その後1978年に復活、現在では着物やテーブルセンターなど、本藍による多彩な製品作りを行っている。

赤穂緞通(あこうだんつう)

1849年に児島なかが創始した赤穂緞通は、紋様が非常に際だっていることが特徴。明治から大正にかけて隆盛を誇るも昭和初期には生産が途絶えた。1999年に同志が集まって組織を立ち上げ、以後技術の保存と伝承活動を行っている。

淡路鬼瓦(あわじおにがわら)

写真/鎌田 剛史

淡路瓦は1610 年、播磨姫路藩主・池田輝政の三男・忠雄が由良城を築城する際、播州瓦の名工・清水理兵衛に淡路島で瓦を焼かせたのが始まり。一つひとつ手作りの鬼瓦は、装飾的な屋根材としてだけでなく、置物としても重宝されている。

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皆田和紙(かいたわし)

佐用町皆田地区を中心に作られていた和紙。室町時代の文献には屏風や障子紙として重宝されたという記述もある。厚手で破れにくいのが特長で、現在も多彩な製品が製造され、佐用町の伝統産業として親しまれている。

稲畑人形(いなばたにんぎょう)

赤井若太郎忠常が1846年に創始した稲畑人形は、きめが細かく粘り強い良質の土粘土を原料とした素朴で親しみのある土人形。現在は5代目となる赤井君江氏が継承し、伝統技術の保存・伝承に取り組んでいる。

姫路白なめし革細工(ひめじしろなめしかわざいく)

江戸時代に参勤交代で江戸に向かう諸大名の本陣が置かれた室津(現在のたつの市御津町)で、たばこ入れなどの繊細な細工物が作られるようになったのが、白なめし革細工の本格的な生産の始まりといわれている。現在は製造されていない。

【写真提供/兵庫県、杉原紙の里、三木工業協同組合、株式会社くつわ】


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